仕事が勢いづいてきたので、とても忙しい日々を送っている。
とはいっても、東京でMAXに忙しかった頃を思えば、楽だし、楽しい。
自分の考えが直接すぐに実現できる可能性が十分にあるからだ。
それにしても、「島時間」というのは、慣れろといわれても、許せないものがある。
もちろん、アマゾンが翌日に本を配達したり、アスクルが当日文房具を配達するほどの過剰サービスは期待していない。
JR西日本のように犠牲となるのは、利用する側、労働者になるわけで問題がある。
流暢でいることも大切だが、ビジネスに限ってはもっと時間との勝負にするべきではと思うことがよくある。
ちなみに島の言葉で「なんくるないさー」(なんとかなるさ)と根拠のない楽観的な解決策の言葉が、島の特徴をそのまま表している。
結局、ソファベッドが納品されたのは、1ヵ月後だったし、宅急便の契約は一ヶ月以上たってもいまだに契約できていない。
正直に言って、一ヶ月、島民の労働状況を観察してきて、労働生産能力は高いとは言えない。
きびきびと良い仕事をする人に「内地からきた方ですか?」というと、ほとんどが当たる。
内地の人間と同じように仕事をできるようになれとは言わないが、せっかく労働の見本となる人も流入しているのだから、良い面は見習いどんどん吸収すべきだと思う。
週刊「オーライ」という、週刊の新聞があり、そこで読んだ記事がある。
移住してきた人がこういうふうに言っている。
「都会に居たころに比べると収入は減ったが、得るものが豊かになった」
このようなたぐいの言葉は、事に触れ聞く。
確かに都会にはない得るものが多いと思う。
食べていくのもなんとかなる。
食堂もスーパーの食料は安いし、近所からもらったり、やろうと思えば、自分で作れる。
しかし、収入が減ることに対して、危機感やなんとか増やそうという気はもたないのだろうか。
少なくとも都会と同じ収入があれば、さらに良い暮らしができるはずだ。
そんなこと(都会と同じ収入を得る)を考える人ならば、最初から移住はしてこないのか。
「島=平均年収が低い」が当たり前の常識に疑問を感じるのは自分だけだろうか。