国会図書館のデータベースで『南嶋探険』という本を見る機会があった。
今から100年以上前、明治26年に八重山をまさに「探険」した時の話だ。
本文は漢字とカタカタだけで、読む気はまったくしない。
ただ、地図はあった。それが面白い。
比較するとかなりアバウトな地図だ。
西表島はかなり違っている。しかし、当時はほかに知る手段がないからここまでのクオリティで十分だろう。
そこで西表島は真っ二つに線が入って「間切り」としている。きっとこれで「東西」と分けたので、大原が「東」、上原が「西」と呼ばれるようになったんだろう。
ちなみに船は「上原」でなく、「祖納」と行き来していたようだ。
石垣は「宮良」「大浜」「石垣」と3つに分けている。
興味のある方はこちらを見てみて下さい。