懐かしのDiscoを振り返って見る

2020年1月1日

最近は雨ばかりで西表島の仕事もできないし、おまけにギックリ腰で動けない。文章書くくらいしかやることがなくなってしまっている。

昔の渋谷の話題が出て、いろいろ懐かしくフラッシュバックしたので整理も含めて書いてみる。

記憶がなくならないうちに(もうすぐ死ぬみたいだなぁ)、いろいろとメモしておこう。

2014年、今から5年前にもこんな記事を書いています。

定期的に思い出がぶり返すみたいです。

同じ時代を共有した方はこちらをBGMにしてどうぞ。

基本自分は音楽とダンスが好きでハマったわけで、ナンパ目的ではありません。踊っていて女性から声をかけられたことはあるけど、かけたことはありません。深い仲になったことは残念ながらありません。

1982年の高校1年の夏休み。三軒茶屋に住む友達と一緒に渋谷のセンター街入り口のすぐ右手にあるbig Appleに連れて行ってもらった。それがとにかくカルチャーショック。ガツンときた。

その時に聞いた”I・O・U” Freez は忘れられない。YouTubeで今でも見られることに感謝!

高校1年の時にはその1回しか行かなかった。しかし2年になってから東京都調布市に引っ越し、そこから夜遊びモードとなる。

高校2年、3年は、ほぼ毎週土曜日には行くようになったかも。とにかく渋谷も新宿も活気があった! 「サーファー」文化も最高潮だった頃かな。

都内にあったディスコの一覧表

というありがたいサイトがあったので、それを見ながら振り返る。

XENON

XENON NEWYORK キーホルダー
キーホルダー画像お借りました。

新宿で一番のお気に入りは、XENONだった。歌舞伎町東宝会館4階。常連はなぜか階段を利用することが多かった。入場チェックのおじさんがヤクザみたいで怖かった。1人はパンチパーマで支配人みたいな人。あと、レスラーのような用心棒みたいな人。
ここのDJさんが好きだったけど名前を忘れてしまった(トミー?)。DiscoはDJ次第で、好みが分かれるところ。
17時からあいていたのかな? 19時まで入ると1,000円だったので日曜日に夕食を兼ねて行ったりもした。クラスメイト10人くらいで行った時もあったな。
土曜日だけ3,000円だったかな。キーホルダーがあると2,500円とか。土曜日は年齢チェックが厳しい日があり、18歳になっている人の保険証をもっていって見せたりした。
食べ放題飲み放題だけど、食事が激マズでお粥みたいなものばかりで、あまり食べられるものがなかった。カクテルは全然酔わず何杯も飲めた。
フロアが広く踊るスペースは広かった。音響も素晴らしい。
たけし軍団をよく見かけた(たけし抜き)。友達がラッシャー板前と腕相撲をした記憶もあり。

それにしても、東京で芸能人に合う確率よりも東京から国内では最も遠い石垣島で芸能人に合う確率のほうが高いという不思議さ。

XENONは会社員になっても2年くらいは通ったかな。

G.B. RABBITS

東亜会館7階。このビルにはDISCOが固まっていた。サーカス・サーカス、BIBA、B&B、GREECE、センチュリー21など。東亜会館のサイトがあった!!
その中でもG.B.RABBITSが比較的好きだった。同じ学校のやつらが20人くらいいた時もあった。「パンプ」という共通の踊りみたいな振り付けしていた。
11:30くらいの終電が近くなると、一度閉店したように見せかけて音もとめ、店を明るくして客の半分くらいを帰らせる。そしてしばらくすると営業を再開する。4時くらいまでやっていたかな。
12時過ぎると私服の警察が来て、あまりにも幼児顔した女の子たちは補導されていた。

夜中の12時近くの東亜会館近くの活気はすごかった。マクドナルドとかファーストキッチンは満席。朝までそこで過ごす人も。
ある時、すごい人混みの真ん中でケンカがあったようで、その中心に行ってみると、同級生の成島君(番長)と岩○君が倒れていた。ヤクザとケンカをして財布を全部持っていかれたらしい。仕方がないので彼らと歌舞伎町で一晩明かした。普段は会話もしたことがない彼らだったので、不思議な気分だった。2千円を貸して半年くらいしてようやく返してくれた(笑)

関係ないけど、六本木交差点アマンドで夜を明かしたことがある。テーブルに向かって伏せていると「出ていけ」と怒られるので、なんとしてでも顔を上げて友達とくだらない会話をするしかなかったという記憶も。

NEW YORK NEW YORK

こちらも今の「シネシティ広場」に面していた。新宿ジョイパックビル4F。
赤シャツDJ 松本みつぐさんが名物だったけど、2017年に亡くなっているんですね。

先日、ラジオを聞いていたらDJ KOOがここで回したと話していたなぁ。

ここのDiscoはあまり肌に合わなかった。夜中に行き場所がなくなってこのビルの階段の踊り場で寝たことが2回くらいあったなぁ。あとこのビルの近くのゲームセンターで1日1,000円で遊び放題というところがあって、夢のようなところだった。普通1ゲーム100円だから10回で元が取れる。車を運転するゲームなどずっとしていた記憶があり。

TSUBAKI HOUSE

これは新宿3丁目のテアトル新宿と離れた場所にあった。伊勢丹の近くか。

ここは曜日ごとに完全に店の雰囲気が変わって、この人のブログが詳しい。ロンドンナイトとかパンクとかめっちゃ怖い人ばかりだった。2回くらい行ったかな。完全にアウェイでしたが憧れでもありました。

これまた関係ないけど、高校3年の時に、テアトル新宿で寺山修司の映画を観て、気持ち悪かった思い出がある。映画館はガラガラ。
今でもその気持ち悪さはなんとなく覚えているから、やはり寺山修司という人はすごい人だったのだろう。国語の先生が変わった人でおすすめの人物だった(高校生に寺山修司をすすめるのはどうかと思うが)。
ちなみにその先生の国語の授業で教科書を読まされたのだが、自分ひとりがずっと50分間読み続けた記憶もある。あれはなんだったのか。自分の流暢な朗読に先生も聞き惚れたのか(笑) それとも寝ていたのか。不思議な思い出。

「週刊少年ジャンプ」は毎週月曜日発売で確か当時は160円。しかし、新宿サンパーク三平というところでは、フライングして日曜日の夕方から100円で販売。いつもそれを買って一番に読んでいた記憶も思い出した。

今で言えば「自由が丘」はおしゃれな街だが、当時はなんの店もなくて、すぐに暗くなる街。唯一、映画館があり、高校3年の時、雑誌「ぴあ」でオールナイトのポルノ映画があると知って、友達3人くらいと観た記憶が蘇ってきた。3本くらい立て続けに観ただろうか。一度に見たので気持ち悪くなってそれから映画館でポルノ映画は見る気がしなくなった。

LA SCALA

渋谷は新宿と比較しておしゃれ。大学生が行く街の雰囲気があった。新宿と交互に通ったかな。

ラ・スカーラが好きだった。あとは渋谷駅に面したCandy Candyと、その後のPARADIAM。

高校生の時には、原宿の日曜日のホコ天で、TRFのダンサー3人はよく見ました。ずば抜けてうまかったし、人気もありました。

PARADIAMでは、DJ KOO がかっこよかった。DJブースが中二階にあって、あまりプレイは見えなかった。

高校3年の時に池袋のサンシャイン60の近くの喫茶店「青粋」でアルバイトをしていたことがあり、その時に映画「ブレイクダンス」のダンサー(オゾンとターボ)がサンシャインに踊りに来てびっくりしたなぁ。あの映画は100回くらい繰り返しみて、まさか目の前に現れるとは思わなかった。

動画があったのでリンク貼っときます。

https://youtu.be/2Plq3rHyW9I

https://youtu.be/B8CjHPc3cZ0

https://youtu.be/LnHGOO92grM

その他

社会人になって原宿のCLUB D、渋谷の J TRIP BAR などか。

六本木はいくつか行ったけど、自分ははあまり楽しくなかった。マハラジャができて盛り上がってきて何回か行ったけど、あまり肌に合わない。「DADA L.M.D.」というテレビ番組は好きで毎週録画してダンスは研究したな。そこから、EXILEのHIROが有名になった。司会はリカコとメグミ。今、ひるおび! で恵 俊彰を見るたびに「お前はそのキャラじゃないだろ」と笑ってしまう。昔は太っていたのにね〜

アジア最大の箱と言われた六本木ヴェルファーレも懐かしい。

西麻布とかにも何回か行ったけど、店の名前も忘れた。なんか業界の人ばかりで自分は違う。その頃から「クラブ」「カフェバー」と変化したかな。

芝浦でジュリアナ東京とかインクスティック芝浦ファクトリーとかエムザ有明とか、ウォーターフロントに流れが変わってよく埼玉から高速を使って行った記憶も。横浜ベイサイドクラブクラブチッタ川崎も行ったな。

それくらいで自分の夜遊びは幕を閉じたかな。もう一生分夜遊びしたから、今は家でおとなしくしている日々です。

オタクDJもしていたので渋谷のレコード店めぐりもよくしていた。給料のほとんどがレコードに消えたなぁ。結局人前でレコードを回したのは1回。才能はなかったようだ。テクニクスのSL-1200MK2というのを2台並べて回していました。とにかくDISCOの市場占有率100%の絶対的な名機でした。

今ではいろいろな機種があるようですね。最近はレコードブームが再来しているようですが、自分はぜったい後戻りはしないでしょう。その対極にある「クラウド音楽プレーヤー」によって、「アレクサ、HIP HOPかけて」って言えば手を動かすことなく音楽が流れてくるんですから。あんな面倒な音楽の聴き方には戻れません。

「ハイエナジー HI-NRG」という分野が一番楽しい時で「ユーロビート」になるとなんかつまらなくなったな。

そのはざまでDead or AliveのYou Soin Me round が流行った。この曲を初めて聞いた時はホントぶったまげた。大音量で聞くとほんとすごいのだ。

あとは、Frankie Goes To Hollywood の Relax も良かったなぁ。

レコードのジャケットもかっこよかった。

https://www.discogs.com/ja/Frankie-Goes-To-Hollywood-Relax/release/5472344

曲もたくさん思い出してきたのでそれは別のエントリーにします。

バブルの時だったので、海外の有名アーティストはよく来島していました。MC HAMMER、RUN DMC、2 LIVE CREW、クイーン・ラティファ などを見ることができました。

今思えば、バブルの時の女性の「ワンレン、ボディコン」というファッション、なんだったんでしょうね。下品すぎます(笑)
こっちが恥ずかしくなります。お立ち台の下で鼻の下を伸ばして見上げていましたが。

機会があれば爆音をまた体験したいけど、踊ることは不可能でしょう(笑)

ということで1万人に一人くらいこの話がわかる方がいれば幸いです。

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