今日になって「自粛警察」という言葉を2箇所で目にした。
勝手な解釈だが、自粛警察とは、
警察に変わって、自粛しない人を成敗する人たち
のことを言う。
警察に変わるから、「ある程度の攻撃は許される」と思っている。
県外の車に傷をつける人たち。「皆にならって営業を自粛しろ」と脅迫したり張り紙する人たち。
先日のNHKニュースで、人がまったくいない川平湾に、唯一、千葉県から来た観光客が首から下だけの撮影でインタビューに答えていた。
「家にこもっているのが嫌いなんで(観光に来た)… (川平湾なら)人がいるかなと思ったけどぜんぜんいなくてびっくりしています」
この発言に対し、facebookで自粛警察の卵の皆さんの心に火をつけた。
「お前みたいなヤツがコロナを運んでくるんだ」
「袋たたきにしましょう」
「こいつ見かけたらぶっ殺す」
的な発言の数々。怖くなりました。
映像も首から下で良かったですよ。ボカしたくらいだったらばれるかもしれない。
みんなで1つの敵をつくり、袋たたきにする行為、なんかいやだなぁ、昔こんなことあったよね?
と思ったら
戦争だった
もちろん自分は経験しておらず『はだしのゲン』から得た知識しかないんだけど。
その中で「非国民」という人間をみんなで袋たたきにしていた光景だ。
みんなで一致団結して間違えた方向に進んでしまう非常に危険な思考だ。
こんな記事を見つけた。
「戦争中の『この非国民が!』と同じ行為」立川志らくが”自粛警察”の自粛求める
志らくさんも戦争を知らない世代だがこう言う。もしかしたら彼も、はだしのゲン?
「非常によろしくない。戦争中にちょっとした不安分子を見つけては、『この非国民が!』とやっているのと同じ行為。良くない傾向」と指摘。”自粛警察”の自粛を求めた。
そしてこちらのサイトを紹介していただいた。
隣組と攻撃性
内田 樹(たつる)さんという大学教授。
「なるほど」と思った文章を抜粋させていただく。
いま、コロナウィルスの感染が広がる中で、行政が明確な休業指令を出さず、民間の「自粛」に委ねてしまったせいで、「自粛に従わないものには市民が処罰を下してもよい」という口実で暴力行使の正当化をする人たちが出て来た。
「外出自粛」は行政が明確な基準も、それに対するペナルティも示さなかったことによって、この人たちのうちに「今なら人を攻撃しても処罰されない」という確信を醸成した。
市民を相互監視させることによって統治コストは劇的に削減される。それは事実である。けれども、その代償として、「大義名分をかかげて隣人を攻撃し、屈辱感を与える」ことに熱中する人々の群れを解き放ってしまう。それがどれほど危険なことなのかについて、人々はあまりに警戒心がないと思う。
私はこういう人たちを心底「怖い」と思っている。
沖縄県民は戦争で一番怖い思いをして、おそらく国内では一番「戦争してはいけない」と教育を受けてきたはずだ。
しかし、もし非常事態になったらまっ先に戦争を当たり前とする上のマンガの人たちのようになりそうな気がしてゾッとした。
もちろん、こういう気質の人を他の都道府県と比較したわけではないので、ただの感覚なのだが。
「戦争は絶対にしてはいけないよ」「戦争は怖いよ」とは脅され、教えられてはきたけれど、「人々がどういう心理状態になったら戦争になるのか」は教わって来なかったのだろう。
自分は前から思っているのだが、こういう人たちって、自分の考えが
「論理的に間違えがなければ自分は絶対に正しい。答えは1つしかない。」
と思い込んでいる人たちだと思う。
これは学校教育で数学的に答えは1つかないと思っている人たち。社会の問題は、国語の答えのように答えがいくつもあるのに、頑なに信じたものを確信し、柔軟性がない。
今回のように
「政府が自粛しろと言ってるんだから絶対に外には出るな。」
というのは、確かに正しい1つの考えではあるんだけど、他の考えもあるよね。
不要不急な外出ではなく、やむなく外出している人もいる。例えば上のNHKのニュースだって、カメラマンに「お前も自粛して外出するな」という論理にもなる。でもそうすると外出した人を成敗するためのニュースは伝えられませんよ?
NHKや民放もいい加減、こういう自粛警察を生み出すニュースはやめてほしいんだけど。
先日もエントリーしたが、「スルーでいいんですよ」それも1つの考え方でしょ。それも認められる社会にならないと、ホント戦争の時の思考に戻ってしまうと思う。ヒットラーによるナチスの大虐殺も同じ。
そういえば先日、歌舞伎町を見回る警察官が警棒をちらつかせていたけど、あれ、ちょっと異様な光景だった。
このままいくと…
政府が簡単に戦争をはじめられる世界になってしまう。
ということで、
「自粛警察」こそ自粛しましょ!
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