たびたび甲子園や、高校野球の監督の発言に違和感があり、記事にしてきました。

今回の甲子園の選手宣誓にも違和感を感じました。
全文はこちら(NHKより)。

はじめに大分商業の川瀬選手が、
「私たち高校球児は夢の舞台『甲子園』に立つことを目指し、仲間とともに励ましあいながら心・技・体を鍛えてきました。
新型コロナウイルスとの戦いや、たび重なる大規模な豪雨災害からの復旧・復興など厳しく不安な状況下で生活している方もたくさんおられます。
このような社会不安がある中で都道府県の独自大会、そして、この2020年甲子園高校野球交流試合を開催していただけることによって、再び希望を見出し、諦めずにここまで来ることができました」と述べました。

続けて、花咲徳栄の井上選手が、
「一人ひとりの努力が皆を救い、地域を救い、新しい日本を創ります。
『創造・挑戦・感動』。
今、私たちにできることは1球をひたむきに追いかける全力プレーです。
交流試合の開催や、日々懸命に命、生活を支えてくださっている皆様への感謝の気持ちを持ち、被災された方々をはじめ、多くの皆様に明日への勇気と活力を与えられるよう、選ばれたチームとしての責任を胸に」と述べ、
最後は2人で声を合わせて、
「最後まで戦い抜くことをここに誓います」と力強く宣誓しました。

これに対して、ツイ速クオリティ!!で前向きな感想を抜粋すると

ほとんどの人はこうみるのかと思うけど、自分は違うんだなぁ。
けれども、中には自分と同じように感じている人もいたみたい。

そうなんだよ。前半の部分はいらない。

新型コロナウイルスとの戦いや、たび重なる大規模な豪雨災害からの復旧・復興など厳しく不安な状況下で生活している方もたくさんおられます。

なんて、世の中の情勢の話は主催者とかにまかせておけばいい。

「感動を与える」とは言っていませんが、これなんですよ、これ。

多くの皆様に明日への勇気と活力を与えられるよう

と言っています。いつからか甲子園球児は役者になってしまったようで、感動を与えてなんぼになってしまった。

余計なことは考えなくていい。ただひたすらな野球をして、プロ野球にはないプレッシャーからくるエラーとか、プレッシャーの中での逆転ホームランorヒットなどが醍醐味。

それに対して見る人が「感動をもらう」のならばわかる。けれど、選手たち自らがいうべきものではないと思う。感動の押し売りはするな。

一人ひとりの努力が皆を救い、地域を救い、新しい日本を創ります。

なんてそこまで背負わなくてもいいし期待していない。
小学生の頃から野球バカなあなたたちに、新しい日本を創れるのか。

精一杯試合やって、試合後に恥ずかしげもなく涙を見せればそれだけで十分なんよ。役者にならなくても。

球児が役者みたいになっちゃったから、吉田輝星は侍ポーズとかへんなことはじめちゃったし。

先日、八重山高校が沖縄県で優勝したけど、決勝の9回の守備で彼らはなんか集まって、外野のほうに向かってピースをしていた。あれにもすごい違和感があった。試合中に何をしとるんやと。

話は変わるけど、その試合の時にピッチャーの周りに野手が集まって相談する時に審判が「密になるから距離を取りなさい」と注意をしたようだ。それもナンセンス。試合であれだけ大声だしているし、感染しているならばとっくにしているはず。

そして案の定、優勝した瞬間は思いっきり蜜になってハグしまくりなんだから。ここまでやるとコロナも寄ってこないパワー(笑)。

というわけで、高校野球の選手宣誓、純粋に正々堂々とプレーすることだけを誓えばそれでよろしい。

私の考えは以上です。

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